History of Education Thought Society  教育思想史学会





第12回大会―(2002年)



日程:


2002年9月21日(土)-22日(日)

会場:

目白大学(東京都新宿区中落合4-31-1)

西武新宿線、都営地下鉄大江戸線・中井駅下車徒歩8分

会場アクセス→ http://www.mejiro.ac.jp/japanese/campus/camp_frame.htm

キャンパス案内→ http://www.mejiro.ac.jp/japanese/campus/camp_s.html



〈 第 1 日 〉
12:00- 受付【研心館】

13:15-15:00 【研心館】
フォーラム1

「人間形成における垂直軸の問題」

報告: 西平直(東京大学)  
司会: 田中毎実(京都大学)
概要:  人間形成における「垂直軸」の問題(例えば、超越的・実存的・宗教的・内面的といった問題群)を、「タオの思想・空の思想・絶対無の思想」から考えたい。手がかりは井筒俊彦の理論地平。その地平において人間形成はどう語られるのか。あるいは逆に、人間形成の視点から見る時、その地平にはいかなる問題があるのか。拙論(『教育哲学研究』84号、2001年)を崩しながら、問いなおしを行った。

 nishihira.pdf


15:15-17:00 【研心館】
フォーラム2  

「17世紀の教育思想
:その再解釈のためのいくつかのアプローチ

報告: 相馬伸一(広島修道大学)
司会: 森田伸子(日本女子大学)
概要:  ヨーロッパ17世紀は、絶対主義の台頭と近代市民国家の模索、宗教的熱情と科学革命といった相反するモチーフに満ちた混迷の時代であった。18世紀啓蒙主義はその克服を課題としたが、近代の問い直しが求められる今日、17世紀は重要な考察対象として再び注目されつつある。本発表では、先行研究の検討を踏まえながら、教育思想史における17世紀の位置づけの再考のための方向性として、とくに1.教育思想と哲学の連関、2.教育概念の再検討に焦点をあてていった。

 sohma.doc


17:15-18:00 ☆総 会【研心館】
18:15-20:00 ☆懇親会【7号館地下カフェテラス】

〈 第 2 日 〉

10:00- 受付【7号館ロビー】

10:30-12:15 コロキウム
コロキウム1 

「フーコーの講義録(1975−76年)を読み解く
:『異常者たち』と『社会は防衛しなければならない』をめぐって

企画: 加藤守通(東北大学)
司会: 加藤守通(東北大学)
発表: 室井麗子(東北大学大学院)
原田寿江子(東北大学大学院)
加藤守通(東北大学)

水島和則(東北大学)

概要:  コレージュ・ド・フランスにおける1975年の講義Les anormauxおよび1976年の講義Il faut defendre la societeは、『監視と処罰』や『知への意志』を理解するための貴重な資料を提供するのみならず、従来のフーコー解釈の枠組み自体を揺り動かしかねない挑発的な示唆を含んでいる。本コロキウムでは、フーコーの思想におけるこれらの講義の位置付けを試み、それが教育思想史研究に対して持ち得る意味を探った。

 muroi.doc  harada.doc  kato.doc  mizushima.doc


コロキウム2  

「内部観察アプローチの可能性:ルーマン・シュタイナー・マラグッツィ―

企画: 鳥光美緒子(広島大学)
今井重孝(青山学院大学)
発表: 鳥光美緒子(広島大学)
今井重孝(青山学院大学)
概要:  提案のきっかけは、今井さんから「オートポイエーシスを行為論的に読み解く」という主旨の論文を送ってもらったことだった。そこに、レッジョ・エミリアの指導者だったマラグッツィの言葉を解読する一つの鍵があるように思えた。ルーマン・シュタイナー・マラグッツィ。以外と思えるかもしれない三人つなげる輪を、「内部観察の可能性」としたのは今井さんである。その「可能性」について、今井・鳥光それぞれの立場からの提案と対話を通じて考えてみた。

 torimitsu.doc  imai.doc


コロキウム3 


「ジルーの批判的教育学:その意義と問題点をめぐって

企画:

上地完治(兵庫教育大学)

発表: 澤田稔(ウィスコンシン大学大学院・椙山女学園大学非常勤)

小林大祐(慶應義塾大学)

上地完治(兵庫教育大学)
概要:  アメリカの教育学者ジルーの批判的教育学は、学校論として、また文化的差異の問題を取り扱ったポリティクスや越境に関する理論として、あるいはポストモダン教育学として、多様な角度からのアプローチが可能である。本コロキウムでは、学校から大衆文化へというジルーの批判的教育学における焦点のシフトを踏まえつつ、3名の提案者がそれぞれの視点からその意義もしくは問題点に迫り、「論争的に」議論を展開していった。

コロキウム4


「「記憶の場」に関して視覚文化論と教育学を接合する試み:ファシズム/ホロコーストを伝える空間と芸術をめぐって

企画: 山名淳(東京学芸大学)
司会: 山名淳(東京学芸大学)
発表: 香川檀(東京大学大学院/城西国際大学非常勤講師)
概要:  本コロキウムでは、「記憶」をめぐる歴史学や視覚文化論の近年の動向に注目しつつ、公共の記憶、表象の限界、非在の形象化、歴史と物語などをキーワードにして、「記憶の場」という問題圏に教育学が接近していくことがいかにして可能かということを考えてみたい。『ダダの性と身体』(ブリュッケ、1998年)などの著者である香川檀氏を招き、1980年代以降のドイツで多く制作されているナチ時代の記憶にまつわる記念碑やアートの歴史的・社会的な意味を視覚文化論の立場から検証していただく。香川氏による教育学外部からの問題提起を受けて、この種の問題に教育学が接近していく方法を参加者ととも議論していった。

 yamana.doc  kagawa.doc


13:30-17:00 【研心館】
シンポジウム 「コロニアリズムとしての教育学」
報告: 駒込武(京都大学)
藤川信夫(大阪大学)
安川哲夫(金沢大学)
司会: 原聰介(目白大学)
概要:  「啓蒙」(非文明の文明化)の学として展開してきた近代教育学がもっているコロニアリズム的側面を問うこころみである。戦前の日本における教育学と植民地政策との関係を材料にして考えるとともに、そこからさかのぼって近代教育学に内在するコロニアリズムの機能について議論してみたい。日本の教育学の場合、コロニアリズムは二重に働いた。西洋文明の移入技術として自らの国を「開化」しつつ、その同じ論理で「非文明」のアジアの植民地化に役割を果たした。今、グローバリゼーションという名の新帝国主義体制へ向かおうとする時代にあって、その新体制に沿いながら教育が選択と競争の原理を基本に再構築されつつあるとき、知の力(権力性)に基礎付けられた営為である教育学の歴史的構造をどう確認しておくか。

 komagome.doc  fujikawa.doc