History of Education Thought Society  教育思想史学会






第14回大会―(2004年)




日程:
会場:



2004年9月18日(土)-19日(日)
日本大学文理学部 百周年記念館

〒108-8345 東京都世田谷区桜上水4-2-50

京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩10分 →会場地図はこちら 

「大会プログラム」はこちらから。  「コロキウム概要」はこちらから。  


↑百周年記念館




〈 第 1 日 〉
10:00−12:00 理事会・編集委員会合同会議
12:00- 受付
  

13:30-15:15 【国際会議場】
フォーラム1歴史に非常ブレーキをかけるもの ―歴史の天使が眼差す行方―」
報告: 池田全之(秋田大学)
司会: 加藤守通(東北大学)
概要:  ドイツ観念論を現代哲学との関係で検討するようにとの依頼を受けて、今回取り上げるのは、シェリングの『世界時代』(1811/15年)とベンヤミンの『歴史の概念について』(1940年)である。さしあたり、この二つに照応関係をみるのは難しいが、それらは共通して、連続的な流れという通常の時間観への異論を提示している。つまり、シェリングは決断を焦点とする時間産出という思想を提起しており、ベンヤミンは、決然として過去志向に方向転換すること(「過去の引用」)を革命であるとする。だが、シェリングは後期哲学において『世界時代』の立場を否定するようになり、ベンヤミンは、過去志向の実質を「屑拾い」や「収集家」という思考像において画定していく。決断を機軸としたこうした二人の時間観からはいかなる示唆が与えられるのか。今回の報告では両者の思想の行方を見据えて、「時間を生きることの尺度はどこにあるか」、という観点からこの問題に答えてみたい。


15:30-17:15 【国際会議場】
フォーラム2:「表象の学習/生としての学び ―学ぶことの二つの系譜」 
報告: 松下良平(金沢大学)
司会: 松浦良充(慶應義塾大学)
概要:  教育への批判によって学習への関心が高まり、旧来の学習とそれを乗り越える学習の区別があちこちで唱えられるようになった。だが、やがて後者の学習の問題点も暴かれるようになり、迷走する議論の向こう側では、教育が素知らぬ顔で傍若無人にふるまう――。すでに生じつつあるこの皮肉な逆説から、どうすれば抜けだせるのだろうか。そのカギは、旧来の学習論が無視・排除してきたものを救出するもう一つの学習論ではなく、教育=学習論と原理的に異なり、かつそこにある利点を考慮した包括的な学習論を築くことにあると思われる。本発表では、旧来の学習とその代替となる学習を、強制/自発、画一/個性、一方的/相互的、といった図式によってではなく、「表象の学習」と「生としての学び」として区別する。近代に特有の「表象の学習」の喜劇的にして悲劇的な末路を確認したうえで、「生としての学び」の歴史的・社会的な多様性と一般性について考えてみたい。


17:30−18:15 総会 【国際会議場】
18:30−20:00 懇親会 【文理学部内食堂・チェリー】



〈 第 2 日 〉
9:30−    受付
10:00−11:45 コロキウム 【会議室2-4】

コロキウム1:「他者論の行方 ―生命、メディア、あるいは、不在の刻印―」  
企画: 久保田健一郎(大阪大学)
報告: 久保田健一郎(大阪大学)
谷村千絵(鳴門教育大学)
藤田雄飛(京都大学大学院)
森岡次郎(大阪大学大学院)
概要:  近年、教育学において、他者に関する議論が相次いでいる。それらの議論は、概して近代教育批判の文脈で行われているようだ。教育学に他者概念を導入することで、近代教育学を解体し、新たなる教育学を構築することへの目論みとして位置づけることができるだろう。 しかし、果たしてこうした他者への「接近」の可能性/不可能性をめぐるディスクールは、現代の生命倫理や情報社会の最前線においてもなお、その輝きを失うことなく在り続けられるのか?ここで問題となるのは、おそらくフィクションとしての他者性であろう。とすれば、教育学における他者に関する論議は、教育を延命する装置として機能し続けていくだけと言えるのではないか?この先には教育も、教育学も崩壊する光景が私たちを待ち受けているのだろうか・・・。


コロキウム2:「ドイツ観念論哲学の表と裏(光と影)」
企画: 加藤守通(東北大学)
鈴木晶子(京都大学)
報告: 加藤守通(東北大学)
鈴木晶子(京都大学)
小野文生(京都大学大学院)
コメンテーター 今井重孝(青山学院大学)
司会: 田中智志 (山梨学院大学)
概要:  ドイツ観念論哲学が近代における様々な思想分野と有形・無形に不可分の関係を築いてきたことはいうまでもない。教育学とりわけ教育哲学・思想史も例外ではなかった。日本でも明治以降、ドイツ観念論哲学は、講壇教育学はもちろんのこといわゆる通俗教育学にも多大の影響を与えてきた。だが、ポストモダン以降、ドイツ観念論哲学は批判の矢面に立たされ、それとともに、教育学においても今更その意義を問うことに意を用いる研究者は頗る少数派になりつつある。とはいえ、教育学という学問および教育学的思惟様式に大きく関わってきたドイツ観念論哲学をいま一度取り上げることは、今を生きる私たち研究者自身の思想形成過程と探るという自己言及的作業としても重要であろう。本コロキウムは、ドイツ観念論哲学に対して以上のような思いを共有する三名の報告者による問題提起である。「ドイツ観念論哲学と教育学」という主題が、教育哲学にとって今だからこそホットな研究主題となりう
る可能性について論じてみたいと考えている。



コロキウム3:「スクールとしてのホーム/ホームとしてのスクール」
企画: 生田久美子(東北大学)
発表: 村田美穂(立正大学非常勤)
下村一彦(山形短期大学)
尾崎博美(東北大学大学院) 
コメンテーター 宮寺晃夫(筑波大学)
司会: 生田久美子(東北大学)
概要:  医療、看護、介護の領域のみならず教育学の領域においても、「ケア」概念に向けた関心が増大している現在、当の概念の明晰化を図ることは、教育哲学、教育思想研究に携わる者の責務である。本コロキウムでは、「スクール(学校)」と「ホーム(家庭)」概念をめぐる教育言説に焦点をあてて、「ケア」概念の教育における意義および位置づけについて議論する。計画は次の通りである。下村は、学校における教員主導の一斉授業や競争的な雰囲気を批判し、「ホームスクール」運動を推進させたジョン・ホルトによる「ホーム」概念をめぐっての議論―スクールとしてのホームへの注目―について考察する。村田と尾崎は、ともに教育哲学者として教育における「ホーム」概念の再解釈―ホームとしてのスクールへの注目―を試みているネル・ノディングスとジェイン・ローランド・マーチンの議論を比較しながら考察する。


13:30-17:30 【国際会議場】
シンポジウム「新教育への新しいアプローチの可能性」
提案: 古屋恵太(東京学芸大学)
渡邊隆信(兵庫教育大学)
木内陽一(鳴門教育大学)
司会: 今井重孝(青山学院大学)
概要:  新教育については、『近代教育フォーラム』第3号(1994年8月)において、「新教育批判の諸相」という特集が組まれたことがある。そこで出された論点を更に越えた新しいアプローチの可能性を探るのが、今回のシンポジウムの目指すところである。19世紀後半に国民教育制度が確立した後、いわば世界同時現象として現出した新教育運動は、現在の様々な教育改革に対しても直接的、間接的に大きな影響を与えており、この歴史的運動をどう評価し、その光と影をどう彩り、その限界をどう乗り越え、21世紀における新たな教育改革を導く新しい思想へとつなげていくかは、とりわけ、新自由主義による教育改革が世界を席巻しつつある現在、緊急の課題であると見られる。世界的な視野を維持しつつ、日本とアメリカとヨーロッパにおける微妙で重要な違いにも注目しながら、新教育運動の21世紀における意味を明らかにできるような問題提起とディスカションが、期待される。




※発表者などの所属は2004年9月現在のものです。