History of Education Thought Society  教育思想史学会





大会報告−第17回大会(2007年)



                 
日程:

2007年9月16日(日)-17日(月)

会場:

京都大学 吉田キャンパス 吉田南1号館        
    


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 大会プログラム案内  フォーラム案内  コロキアム概要  交通案内&会場地図




〈 第 1 日 〉

10:30-12:30 理事会・編集委員会合同会議

12:00-    受付

13:00-14:45 フォーラム1:情念と教育――ルターとその周辺
報告: 菱刈晃夫(国士舘大学)
司会: 井ノ口淳三(追手門学院大学)
指定討論 山内清郎(大谷大学)
概要:  人間とは、はたして「理性」的動物なのか、それとも理性的「動物」なのか。理性に力点を置くか、動物に力点を置くか。教育をどう捉えて実践するかは、結局、このアクセントの違いに大きく左右されよう。西洋文明の根底にあるキリスト教による教育思想を振り返るに、「神」と繋がる理性、霊性をそなえるとされる人間が、いかに動物としての自己自身と関係しながら「人間」になれるのか、あるいは、この世を人間化、文明化、道徳化させていくのかが模索されてきた。問題は、人間に元来そなわる、理性以前の動物的なもの―感情、情感、情動、熱情、情緒、そして情念など―すなわち、からだで感受する「情」(アフェクトゥス)と、どう関わるかである。本発表では、近代教育学のベースにあるキリスト教的な教育論が、情念との関わりのなかでどのようにして生成してきたのか、主にルターとその周辺(エラスムスやメランヒトンなど)を手がかりに解明していきたい。なお、周辺は啓蒙期にまで拡張される予定である。

 



15:15-18:15 Colloquium

コロキウム1:身体のモノローグ/ダイアローグ  会場地図
企画: 弘田陽介(関西大学、龍谷大学・非常勤)
報告: 戸村拓男(社団法人整体協会・身体教育研究所技術指導員)
コメント: 加藤守通(東北大学)、藤川信夫(大阪大学)
概要:  教育思想において身体は、「身体を通して世界を受け取る」という構図において把握されてきた。
 この構図において、学ぶのは身体そのものではなく、身体と結び合わされた心や精神という主体のメカニズムである。近年の認知科学や学習論は、このような主体-世界の二元論的構図を乗り越えるべく、主体と世界の間に存在する「環境」に身体や精神などを含み入れる一元論的アプローチを様々なジャンルに応用しようとしている。
 だが、このような身体をめぐる思想系譜を鑑みる時、私たちはそもそもの身体について何か語ってきた、またはその身体に何かを語らせてきたと言えるのだろうか。身体は常に体験、コツ、痛み、生命、健康といった何か別のものに置き換えられ論じられてきたのではないか。そして、その置き換えの中で、有用でも具体的でもない身体の感覚は失われてきたのではないか。このような問いを議論の俎上に乗せるべく、昨年に引き続き、日本の文化に根ざした身体技法の実践家を招いたワークショップ形式のコロキアムを行う。そのテーマは、立ち居振る舞いの「型」という生活・文化・伝達の様式を通して、私たちの身体感覚を見つめ直し、その感覚から何か語ってみることである。
 本年度は、学会会場とは別に京都大学に隣接する知恩寺の施設を用いるが、これは学問が捉えてきた従来の身体観への抗いの試みの一つである。また議論をその場で深めることができなかった昨年の反省から、今年は参加者の声を反映できる時間を多く取る事ができればと考えている。なお、特別な衣装は不要です。

                                    



コロキウム2:近代教育学批判について考える−批判の形式を中心として
企画: 江口潔(中央大学・非常勤)
司会: 江口潔
報告: 上地完治(琉球大学)、綾井桜子(十文字学園女子大学)、藤井佳世(鎌倉女子大学)
概要:  本コロキウムでは、本学会の前身にあたる近代教育思想史研究会の設立趣意書にある、「近代教育学を総点検する」仕方について焦点をあて、批判の形式あるいは思考の形式について考えていきたいと思っています。わたしたちは何を足場にして、どのような批判をしているのだろうか、ということを問いなおし、もういちど、原点に立ち戻って、近代教育学をどう語っていくのか、ということを取り上げる予定でおります。
 そのように考える背景には、わたしたちは、自分たちが関わっている現状の問題について実はよく考えてこなかったのではないかという思いがあります。近代教育学批判というひとつの物語がすでに消費されてしまっているのではないか?現在の教育思想史学会において、近代教育学はどのような位置づけにあるのか?といういくつかの疑問について論じていく場にしていきたいと考えております。

 



コロキウム3:プレゼントが開く未知なる教育―児童文学や絵本を事例として―
企画: 井谷信彦(京都大学大学院)
司会: 鳶野克己(立命館大学)
報告: 井谷信彦、宮崎康子(京都大学大学院)、高柳充利(京都大学大学院)、石ア達也(京都大学大学院)、辻敦子(京都大学大学院)
指定討論: 鵜野祐介(梅花女子大学)
概要:

人はなぜプレゼントをするのか? これは、非常に素朴な問いかけです。しかしそこには、道徳や礼儀作法についての本質的な問題が含まれています。従来の道徳教育は、「他者のため」という言葉の持つくすぐったい響きを、「自分自身のため」という言葉によって麻痺させてきたように思われます。「情けは人のためならず」というわけです。しかし、それでは道徳的な行為はけっきょく他者を手段化する計略にすぎないのでしょうか。そうではない、と一息に答えてしまいたくなるかもしれません。けれども、道徳的な行為は相手のためなのか、それとも自分自身のためなのか、あるいはその両方なのか、どちらでもないのか。これは、そう簡単に答えの出る問題ではないでしょう。この問題について本コロキウムでは、プレゼントを題材とした児童文学や絵本を事例として考察を深めたいと考えています。「〜のため」という有用性の次元に囚われた価値観を相対化し、プレゼントという営みのなかにそれを補完する未知なる可能性を発見することが、本コロキウムにおける中心的な課題です。

  


コロキウム4:何が教育を可能にしてきたか?
企画: 岡部美香(京都教育大学)
司会: 松下良平(金沢大学)
報告: 岡部美香、久保田健一郎(大阪大学)、谷村千絵(鳴門教育大学)、森岡次郎(大阪大学)
指定討論: 澁谷亮(大阪大学大学院)、國崎大恩(大阪大学大学院)
概要:

これまで,教育と政治の関係は常に微妙な距離を取ってきた。それらは時に近づき,国民形成やファシズムへと連なり,時に離れ,教育を独自の空間として規定しようとする。しかし,こうした関係のなかに「子ども」概念が差し挟まれるとき,教育的言説の実質は,それを語る者の意図を越えて政治的なものへと接近していくと考えられる。本コロキウムでは,まず日本の新教育に注目することで,子どもを巡る言説のなかに孕まれる矛盾とその隠蔽のメカニズムを明らかにすることとする。それは同時に,一見政治から解放されているかのような教育的言説にさえ政治性が流れ込むという図式を示す作業でもある。さらに,この図式を経て,今日あるいは今後の教育が直面する状況に問いを投げかけ,「教育を可能にしているもの」の姿を描出することを目指す。それは,教育的な発想を逸脱していく議論をも時に巧妙に取り込んでいく教育学的な言説装置との間接的な対峙ともなるはずである。

    



18:30-20:00 懇親会(於 レストラン「カンフォーラ」京大正門前)
                                                                                                                                                               懇親会開会の挨拶





〈 第 2 日 〉

9:30−    受付


10:00−11:45 フォーラム2
フロイトからフロイト主義へ/病因論から教育言説へ
                  ――精神分析の心理学化と因果論の変容――

報告: 下司晶(上越教育大学)
司会: 西平直(東京大学)
         
概要:                                                                                         
 S.フロイトが創始した精神分析は、20世紀以降の世界にもっとも大きな影響を与えた思想の一つでありながら、それが教育に何をもたらしたのかについては、これまで本格的な検討がなされていない。その理由の一つに、フロイト主義がすでに私たちの世界観の一部となっているため、対象化が困難であるという点があげられるだろう。したがって、教育と精神分析との関係性を読み解くためには、私たちの理解枠組み自体を問い直す必要がある。
 本発表では、拙著『<精神分析的子ども>の誕生――フロイト主義と教育言説』(東京大学出版会、2006年)の成果を踏まえて、フロイトと精神分析が教育に与えた影響を考察する。そのために、精神分析を、一つのまとまりをもった思想体系としてではなく、フロイトのテクストが継続的に再解釈される中で、絶えずその性格を変えていく思想運動として理解する。フロイトとフロイト主義の間の連続性と断絶性に着目しながら、精神分析の科学的位置づけの変遷と、病因論から教育言説へと至る因果論の変容とを思想史的に読み解きたい。

           



13:00-13:45 総会および第4回教育思想史学会奨励賞授与式

14:00-15:45 フォーラム3:「贈与と交換の教育人間学」という問題圏
報告: 矢野智司(京都大学)
司会 高橋勝(横浜国立大学)
概要:  私たちが、制限された教育経験の限界を乗り超えるには、近代の教育経験からではなく、人間学的な想像力を駆使して「教育の起源」から問い直すことが必要である。そのとき立ち現れるのは、一切の見返りを求めない「純粋贈与」という一見すると教育とは無縁に見える出来事である。「贈与」は「交換」や「所有」とならぶ経済的行為を説明する中心概念として見なされている。しかし、この純粋贈与は有用性に支配された社会の原理を乗り超えて、社会化や発達という理論枠では決して見ることのできない、死、供犠、歓待、エロティシズムなど、他者と関わる人間の生成変容についての新たな地平を見いだすことを可能にしてくれる通路であり、さらには私たちが自明のように受け入れている負い目に基づく道徳を超えた生命の倫理を垣間見させてもくれる出来事である。しかし、この主題は教育学的思想を限界点にまで至らせるものでもある。限界への教育学の試み。