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■『近代教育フォーラム』第14号(2005) |
〈巻頭言〉 |
小玉重夫: |
分裂を誘う思考
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〈フォーラム1:「歴史に非常ブレーキをかけるもの ―歴史の天使が眼差す行方」〉 |
池田全之: |
報告:歴史に非常ブレーキをかけるもの ―歴史の天使が眼差す行方
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加藤守通: |
司会:シェリングの時間論の人間形成論的意義
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鳥光美緒子: |
コメント:ベンヤミンは実存哲学者か?
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小野文生: |
コメント:夜が織りあげたものを昼がほどく
―シェリングとベンヤミンをめぐる「交感の非歴史的テーゼ」の序にかえて―
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〈フォーラム2:「表象の学習/生としての学び ―学ぶことの二つの系譜」〉 |
松下良平: |
報告:表象の学習/生としての学び
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松浦良充: |
司会:表象としての学び論 ―オポチュニスト的相対主義の立場から―
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小林大祐: |
コメント:実践とその反対物のあいだ ―学習から学びへの転化を問う―
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〈シンポジウム:「新教育への新しいアプローチの可能性」〉 |
古屋恵太: |
報告:「自然な学び」の論理から「道具主義」は離脱できるか?
―現代社会的構成主義への進歩主義教育の遺産―
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渡邊隆信: |
報告:新教育「運動」のリアリティ ―新教育連盟とヴェーニガー―
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木内陽一: |
報告:新教育と教育学説の関係を考える
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今井重孝: |
司会:新教育への四つのアプローチの可能性
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川瀬邦臣: |
コメント:新教育の新たな評価をめざして
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山内紀幸: |
コメント:焼畑のあとの教育思想史研究 ―「転換フェーズ」の真ん中へ―
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〈コロキウム〉 |
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久保田健一郎:
森岡次郎:
谷村千絵:
藤田雄飛:
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1 他者論の行方 ―生命、メディア、あるいは、不在の刻印― |
田中智志:
加藤守通:
小野文生:
鈴木晶子:
今井重孝: |
2 ドイツ観念論の光と影
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生田久美子:
下村一彦:
村田美穂:
尾崎博美:
宮寺晃夫: |
3 ホームとしてのスクール/スクールとしてのホーム
―教育において「ホーム」概念が示唆するもの― |
〈リプライ〉 |
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弘田陽介: |
いかにして複数で読むか/書くか 「『カント』に触れる技」をめぐりめぐって |
〈投稿論文〉 |
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尾ア公子: |
教職倫理規範の生成過程に関する一考察 ―民権派の自己統治論の分析を通して―
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柴山英樹: |
シュタイナーの色彩論に関する思想史的考察
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渡辺哲男: |
「国語」における声と文字 ―1930年代ローマ字論争をてがかりとして―
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〈書評〉 |
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野平慎二: |
教育―メディアのなかでのすれちがい
今井康雄著『メディアの教育学』
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木村浩則: |
「批判」と「実践」のあいだ
田中智志 、山名淳編著『教育人間論のルーマン―人間は〈教育〉できるのか』
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田中智志: |
社会学的啓蒙に加えて ―広田照幸著『教育』を読む
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片山勝茂: |
道徳的規範を伝達することは必要か?
松下良平著『道徳の伝達:モダンとポストモダンを超えて』
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清水禎文: |
信仰的リアリズムと社会改造への意志
山口和宏著『土田杏村の近代 文化主義の見果てぬ夢』を読む
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下村一彦: |
岡村達雄著『教育基本法「改正」とは何か ―自由と国家をめぐって』を読む
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■『近代教育フォーラム』第15号(2006)
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〈巻頭言〉 |
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加藤守通:
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〈フォーラム1:「コメニウスにおける世界の表象と教育的提示−図絵・修辞・身体」〉 |
北詰裕子: |
報告:コメニウスにおける世界の表象と教育的提示 −図絵・修辞・身体 |
相馬伸一: |
司会:コメニウスにおける事物と方法の多面性 |
今井重孝: |
コメント:コメニウスにとっての世界・表象・言語の関係 |
古屋恵太:
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コメント:反表象主義後の表象論の再編成に向けて |
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〈フォーラム2:「遺伝学と教育の思想史」〉 |
金森 修: |
報告:遺伝子改造の倫理と教育思想 |
今井康雄: |
司会:「自由」に対して責任を負うとはどういうことか −金森フォーラムに関するコメント− |
森岡次郎: |
コメント:「受動的」な未来予測から「能動的」な価値の提示へ |
岡部美香: |
コメント:科学者のディスクールと生活者の実際行為 |
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〈シンポジウム:「国家・グローバリゼーション・教育」〉 |
小玉重夫: |
報告:マルチチュードとホモ・サケルの間
−グローバリゼーションにおける包含と排除− |
越智康詞: |
報告:グローバリゼーションと教育の地殻変動
−教育の新しい可能性をグローバリズムの罠から救うために− |
野平慎二: |
報告:国家・グローバリゼーション・教育
−教育の政治性・市場性への公共空間の埋め込み− |
田中智志: |
司会:グローバリゼーションとモンディアリザシオン −人材、人間、そして自由 |
丸山恭司: |
コメント:潜在的な他者への余地を残しながら、ポストコロニアルにグローバリゼーションを理解する |
片山勝茂:
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コメント:グローバル化の時代における国家と教育 |
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〈コロキウム〉 |
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鈴木晶子:
弘田陽介:
小野文生:
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1 啓蒙「と」教育−その絡みと捻れを考える |
藤川信夫:
丸山恭司:
高木雅史:
根村直美:
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2 教育学における優生思想の展開 −歴史と展望− |
須川公央:
野見 収:
下司 晶:
秋山茂幸:
塩崎美穂:
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3 精神分析と教育 −エディプス・コンプレックスをめぐって− |
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〈投稿論文〉
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下司 晶:
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J・ボウルビィにおける愛着理論の誕生 −自然科学と精神分析− |
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〈書評〉
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柴山英樹: |
菱刈晃夫著『近代教育思想の源流 −スピリチュアリティと教育』 |
古川明子: |
田中智志著『人格形成概念の誕生 :近代アメリカの教育概念史』を読む |
川口陽徳: |
樋口聡著『身体教育の思想』 |
今井康雄: |
森田伸子著『文字の経験−読むことと書くことの思想史』勁草書房、2005年。 |
清水禎文: |
クリストフ・ヴルフ編/藤川信夫監訳『歴史的人間学事典2』を読む |
新井保幸: |
山ア英則著『シュプランガー教育学の研究 −継承・発展過程と本質理論をたずねて−』 |
米村まろか:
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西岡けいこ著『教室の生成のために』を読む −教えることは不可能か? |
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〈研究動向紹介〉 |
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西村拓生: |
「教養・陶冶」の語り直しをめぐって
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