会長挨拶

狩猟者の視線から散策者の視線へ

教育思想史学会会長 小玉重夫

 本学会の前身である近代教育思想史研究会は1991年に設立されました。その設立の趣旨は、次のように述べられています。

 

 この試みのねらいは、今日の教育思考の歴史的構造を明らかにする意図で、それの原因と仮にみなすべき近代教育学を総点検しようとするものです。その意味から言えば、近代教育学を現代に生かそうとするよりも、現代の教育を創った責任をそこに問う仕事になるでしょうし、さらには、この仕事を近代教育学批判という思想運動であると表現することもできるかもしれません(「「近代教育思想史研究会」へのお誘い(設立趣意書)」1991年6月27日『近代教育フォーラム』創刊号, 166頁)。

 

 この設立趣意書に示されていたのは、1970年前後に一端は挫折したかに見えた教育の権力性や教育に内在する政治性への着眼を、「近代教育学批判という思想運動」という形で、あらためて理論的な俎上にのせようという意欲であったといえます。しかしながら、この「近代教育学批判という思想運動」は、本学会において継承、あるいは検証されているかといえば、まだまだ道半ばであるといわざるを得ません。

 設立から30年近くが経過し、教育を取り巻く状況も大きく変化しました。日本では2015年の18歳選挙権実現を受けて、高校生の政治活動を禁じた文部省(当時)の1969年通達が廃止されました。そのようななかで、あらためていま、上述の設立趣意書とその背景をなす1970年前後の運動の意味を問い直してみる必要があるように思います。

 所美都子(1939-1968)という、1966年にお茶大生物科の修士課程を修了して東大新聞研の研究生をしていた思想家がいます。雑誌『思想の科学』に「予感される組織に寄せて」という論文を発表し、山本義隆ら全共闘の運動に多大な影響を与えた人物ですが、彼女は1966年に和光中学で講師のアルバイトをし、板倉聖宣の仮説実験授業研にも参加していました。そこで彼女は、仮説実験授業を批判して以下のように述べています。

 

 「対象に対して最短距離を歩く」あるいは「目的があって、ものが意識に介入できる、つまり、物を見るのは狙うこと」というのはMANの論理の形成基盤であろう。例えばデパートで男女の軌跡を想像するとする。男であれば、たとえばゴキブリ亭主と蔑称されてはいても、食品売場での彼は目的物に真っ直ぐ向かい走行距離はたかが知れている。ところが女となると、目移りと称して、目的物は霧散して、あれこれと歩きまわる。・・・・先の板倉聖宣に戻れば、彼は理科教育とは仮説をつくらせ、それを検証させていくものでなければならぬという。予想し得る仮説をある限り出させこの複数の仮説(可能性)を、検証行為を通じて切り捨てていかせる。つまり自然科学の法則が他の可能性の拒否のうえに成立しているように。(所美都子『わが愛と叛逆』前衛社、1969年、93頁)

 

 ここではいわば、「対象を狙って最短距離を歩く狩猟者の視線」が複数の可能性を切り捨てる研究方法として批判され、「目的物は霧散して、あれこれと歩きまわる散策者の視線」が複数の可能世界を往還する研究方法として評価されています。両者の方法を男女の性別に割り振るとらえ方にやや本質主義の傾向を感じますが、それをおくとしても、フェミニズムの視点から近代科学の方法論を批判し新しい研究のあり方を提起したものとして先見の明を認めることができるのではないでしょうか。教育研究もまた、いままさに、「狩猟者の視線」から「散策者の視線」への転換を迫られています。教育思想史研究はその先端を担う場でありたいと考えています。

 教育研究を取り巻く環境は大きな変革のただ中にありますが、そのようななかにあって、本学会が、会員の方々にとってよりいっそう有意義な場となるよう、山名淳事務局長、西村拓生編集委員長とともに、努めてまいりたいと思います。多くの方が本学会に参加し、教育思想史研究の深化と活性化にともにかかわってくださることを願っています。

 

2018年12月24日